美味しかったものを安易に伝えてはならない その理由とは

美味しいと思ったものを親しい人に「美味しい」と安易に伝えてはならない。それはなぜか?

 

茄子づくし事件

子どもの頃の食卓に焼き茄子が出てきて、それがとても美味しかった。その話を当時のガールフレンドに伝えたところ、彼女の実家で茄子づくしともいえる料理を振る舞っていただくことになった。

 

しかし私が美味しいと感じたのは、焼き茄子として調理された茄子であって、その他の調理のものではなかった。案の定、できる限り食べたのだが、一部残してしまった。

 

膳を下げていただくときに、「茄子がお好物だときいていたのですが」と彼女の母親から申し訳無さそうに言われ、大変恐縮してしまったことを今でも覚えている。厚意を無駄にしてしまったのだ。

 

湯葉づくし事件

社会人になり、何気なく仕事関係者に「先日食べた湯葉が美味しかった」と会話をしたことがある。するとその方はその話を覚えていてくださったようで、後に湯葉専門店にご招待していただいた。


仕事関係者は湯葉がアクセント程度の定食だったのだが、私への料理は全て湯葉でできていた。「たっぷり堪能されてくださいね」とのことだったが、少量の湯葉が美味しいのであって、さすがに湯葉づくしともなると勝手が違う。

 

子どもの頃の茄子づくし事件を思い出し、残すことで生じる気まずさは回避しなくてはならないと強く思った。すべて平らげ「美味しかったです」とお礼を申し上げたが、正直なところ湯葉だけではつらかった。

 

好物は具体的に述べる

以来これらが教訓となり、美味しかったものを安易には言わなくなった。仮に言う場合でも、きちんと具体的に述べるようになった。「〇〇店のアンチョビパスタが美味しかった」「高級焼肉店で食べるハラミが美味しいよね」といった具合に。

 

そうしないと気遣いができる方の厚意を無にしてしまう可能性があるのだ。