『プロの手抜き和食 安倍ご飯』 手軽で美味しい
『プロの手抜き和食 安倍ご飯』は『食品の裏側』という食品添加物の危険性を訴える本を書いた安部司氏のレシピ本だ。添加物の類は入っていない調味料を5つほど自作し、それを使って簡単かつ美味しい料理を作ろうといった趣旨の本となる。
タイトルに偽りはなく、レシピを数品試したがどれも驚くほど美味しかった。料理本はわりとたくさん持っているが、美味しさで言えば一番かもしれない。
料理に慣れてないが、化学調味料を使わずに和食を美味しく作ってみたい人におすすめの本だ。
手抜き和食とあるように手軽に作れるのもポイントが高い。もちろん、料理の前に5つの調味料を作っておく必要はあるのだが。
「かえし」だけでも使える
とはいえ、その一つの「かえし」だけでも、丼、鍋、汁物、おひたし、肉類の味付け等などとかなり使える。
「かえし」は醤油に砂糖を混ぜるだけなので、作るのにも手間はいらないのが嬉しいところ。
糖分は多い
しかし和食はもともと糖分を多く使う。この本のレシピが美味しく感じるのは、糖分量が多いことも大きな要素だろう。糖分を控えめにしたい人は、各々甘み成分を調整する必要があるだろう。
「なぜ」という質問 他の4W1Hに置き換える
相手とコミュニケーションをとるには会話をしなくてはならず、どうしても相手に質問をしなければならなくなる。当然、逆に相手からの質問に答えなくてもならない。
質問は、5W1H、つまり「いつ」「どこで」「だれと」「何を」「なぜ」「どのように」というものを使うのが基本だ。
しかし、このなかの「なぜ」という言葉には気をつけなくてはならない。
「なぜ」という問いは相手に苦痛を与えやすい
というのは、「なぜ」という問いは、答える側に論理思考を使わせてしまうからだ。思考は基本的に苦しさをともなうもの。なので「なぜ」という質問をすると、相手は苦痛を感じ不快になっていくのだ。
そこで、「なぜ」と質問する場面では、できるだけ他の4W1H、つまり「いつ」「どこで」「だれと」「何を」「どのように」といった質問に置きかえるとよいだろう。
相手が遅刻したときの対応
相手が遅刻してきたとしよう。ここで「なぜ遅刻したの?」と質問したくなるだろうが、「なぜ」を4W1Hのいずれかに置き換える。そうすることで、「なぜ」といった質問よりも制限された問いになり、相手の苦痛は和らぐはずだ。
一例として「なぜ遅刻したの?」を「何があったの?」と置き換えれば、問い詰める感じも和らぎ、相手の負担は減るだろう。
このように「なぜ?」と質問したくなったときは、他の4W1Hに置き換える。そうすることで相手の負担を減らす気遣いになるのだ。
自己イメージと違う賛辞 素直に喜べない
他者から心からの賛辞を受けても、嬉しくないときはないだろうか。
それは自身が思い描いている自己イメージと異なるからだ。
自分を正確に知りたいという欲求は何よりも勝る
自分を肯定的にとらえたいという欲求よりも、自身を正確に知りたいという欲求のほうが強いという。
人は、基本的に自分のことを肯定的にとらえているため、褒められると嬉しいものだ。しかし、上述のルール通りに捉えているモノもあり、それに関しては他者から褒められても嬉しく感じることはない。
それよりも、自分を正確に知ってほしいと思うため、つい反論したくなるのだ。
逆の立場の場合、理解に努める
この心理を理解してしまえば、逆の立場になっても対応に困ることはない。
相手に心からの賛辞をおくったにも関わらず、反論されてしまうと困ってしまうものだ。時には不快にすら思ってしまうかもしれない。
しかし、「自分を正確に知ってほしい」という心理ゆえのことだとわかれば、相手の自己認識を理解することができる。それだけでも相手の欲求に応えていることになっている。
そのうえで、必要であれば「より高みをめざされているんですね」などと対応していけばよいだろう。
ギターの練習にはルーパーとフットスイッチ
近頃ボスのRC2という骨董品のルーパーをギターの練習のお供にしている。練習の幅が広がるとても便利な機材だ。
実のところ、何回目かのルーパーブームとなる。
初回ブーム
発売当初はこんな便利なものが発売されるとは、とすぐに飛びついた。しかし、タイミングがずれる……といつしか敬遠することに――単に自分の操作が未熟だっただけなのですが、はい。
第2回ブーム
次のブームは練習に便利と気づいて(気づくのが遅いですね……)から到来。しかし準備に時間がかかると、練習のモチベーションが下がる。なので、ルーパーのありがたみは分かりつつ、ひと手間がかかることからいつしか使わなくなっていた。で、代わりに使っていたのがカセットテープ。
しかし、このカセットテープが先日寿命を迎えて南無阿弥陀仏、再度ルーパー様のご登場とあいなった。
現在、第3回目ブーム到来
モチベーションの低下を防ぐ卓上アンプとスイッチ式電源タップ
この云十年で卓上アンプの性能は大幅に上がり、スイッチ式電源タップの使用という知恵もついた。これでモチベーションの低下を防ぐことができる。
これらのおかげで、無事に第3回目のブーム到来となったわけだ。
フットスイッチがあると操作が快適
ちなみにRC2にそこらに転がってたフットスイッチを使えば、ルーパー独特の操作のわずらわしさが大幅に減少する。
RC2単体だとはバッキングトラックの静止はRC2のスイッチ連続2回踏みという操作が必要で、これが煩わしい。
しかし、フットスイッチを繋いでおけば、フットスイッチを一度踏めばバッキングトラックは止まる。フットスイッチの長押しで、バッキングとバッキングトラックの消去も可能。
私は、RC2のリズムを使わないので、私には必要のない操作だが、このフットスイッチでリズムのタップもできるので、とても便利だ。
というわけで……
ルーパーは練習の幅を広げる便利な機材。そして、ルーパーとフットスイッチはセットで入手するのが吉。
顔のトレーニング
はい、右見て、そのまま止めて。今度は左見て!顔は動かさない!!
顧客の一人である美容家が私の顔をしげしげと眺めてから、こう言ってきた。
「家具さん、最近老けてきてるわよ」
「そうですか。ですが年相応ということでしょう」と返した。が、彼女はやれやれといった感じで少し眉をひそめてこう言う。
「今ならまだ間に合うわ。頑張りなさい」
頑張るとはいっても具体的にどう頑張れというのだろうか。その疑問をぶつけると、彼女は笑みを浮かべて「私の言う通りにしなさい」と強めに言い切り、そして冒頭の目の運動の指導が始まった。
10分ほどマンツーマンでの指導をしてもらったところ、運動直後と同様のスッキリした感じがあった。その場所が顔限定というのは初めての経験でなんだかおかしかった。
「これを毎日3週間続けてくださいね」と美容家。有無を言わさぬ迫力で、私もこういった強引さを見習いたいと思ったが、キャラじゃないなと気づく。
言いつけを守らないとまずいことになるという予感から、1日10分顔を鍛えて三週間。奥一重になっていた目蓋が二重に戻りかけている。顔のむくんだ感じも近頃はあまり感じない。これが成果だろう。
来週、美容家の顧客と会うのだが、さて彼女はなんと言ってくるのだろうか。
人に頼みごとをするときに謝ってはならない
人に頼みごとをするときに謝ってはならない。
「申し訳ないのですが、この仕事を手伝っていただけないでしょうか?本当にごめんなさい。あなたにしか頼る事ができなくて……」
つまり、このような頼み方は良い頼み方とはいえない。
では、なぜこのように謝りながら頼むと良くないのだろうか?
『人に頼む技術』(ハイディ・グラント著)によると理由は2つあるという。
心理的リアクタンス
1つ目は心理的リアクタンスが起こるからだ。
人は自分のことは自分で決めたいという心理がある。それができない場合、心理的な抵抗が起こるのだが、それを心理的リアクタンスという。
謝られながら頼まれ、それを引き受けた場合、自分の意志でその人を助けたといった感覚を得ることができない。
心理的リアクタンスが起こってしまうと、やらされたと感じてしまうため、人を助けることが出来たという喜びを感じにくくなるのだ。
仲間意識が損なわれる
2つ目は仲間意識が損なわれるからだ。
仲間とは助け合うもの。なので人は仲間に対しては助けようとする認識を持つ。しかし謝りながら頼むと、その仲間意識が希薄になるのだ。
助けてくれたときは感謝をする
人に頼みごとをするとき、引け目を感じているため、ついつい謝りながらしてしまうものだ。しかし、そのことにメリットはなさそうだ。
頼みごとをするときに謝るよりも。相手が助けてくれたときにはきちんと感謝の念を伝えること。このことのほうがはるかに大切なことなのだ。
同じ手順を繰り返す
話がさっぱりわからない人がいる。
先日も知人女性が出会うなり、「ねえ聞いてよ!ビリヤニ食べたら悲しかった!!」と話しかけてきた。
いや本当、さっぱり分からない。
そこでいつものように質問をして話の理解につとめた。
「悲しかったんだね?」
「そう、悲しかったの!」
「どうして悲しかったの?」
「ビリヤニ食べたから」
「どこで誰とビリヤニを食べたの」
「友人とフードコートのインド料理屋さん」
「そのビリヤニ食べたらどうして悲しくなったの」
「前にあなたと一緒に行ったお店のビリヤニは美味しかったのに、今日食べたのはそれほどは美味しくなかった」
今日は悲しいことがありました。
お友達とフードコートにあるインド料理のビリヤニを食べたんです。
だけど、以前食べたビリヤニほど美味しくなかったのです。
だから、今度前に行ったインド料理屋に連れて行ってね。
こういうことでよろしいですかと確認すると、最後の一行は言っていないけど概ねよろしいということになった。
そして、今度は違う話がはじまった。やっぱりその話もよく分からない。そしてまた質問をして……と、同じ手順を繰り返す。
「どうして怖かったの?」……。